SF短編『果樹園』

 俺たちの独房。四畳ほどのうなぎの寝床だ。奥に土間があってセラミックの便座と洗面台が据えつけてある。窓は不透過シートで覆われ、外がどうなっているかはわからない。
 虜囚である俺の日課は果樹への水やりだ。朝、日の出間近になると独房の鍵がはずされる。鍵束を手にした顔のない看守が監獄から出るのをじっと待つ。足音が消えると俺は動きはじめる。中庭の水場でブリキの如雨露へ水を汲む。錆びついた水道管の蛇口をひねると咳ぜんそくの患者みたく水がごほごほ吐きだされる。如雨露の半分ほどの水位で一度水がとまる。理由は不明。ただ、しばらく待つとまた咳が始まるから、その間に肥料の準備をする。
 肥料袋は監獄の中庭の隅にある納屋へ届けられる。顔のない看守の小姓が運んでくる。フードをした無口なやつだ。声帯がなくしゃべれないのかもしれない。
 肥料の口を縛る縄をほどくと、饐えた煤状の物体が出てくる。腐敗したもろみのような。こいつが肥料だ。まともな農業なら化学肥料だの牛糞だのをやるんだろうが、俺たちの果樹園ではこいつを施肥する。これは何なのか。考えない方がいい。考えてわかるものでもないし、以前この肥料の溶けこんだ水を呑んだ鳥が、ひどく苦しみ緑色の泡を吹いて死んだ。だから俺も素手で触るのは避けている。要はそういう代物だ。
 全部で六つある独房のうち、果樹が育っているのは四つのみだ。ひとつは最年少のマシタだったが、マシタは発芽後間もなく枯らしてしまった。俺の失態だ。水やり係としての経験が浅く、よかれと思って水をやりすぎたため、根腐れを起こしてしまったのだ。マシタの脇腹にぽつぽつ黒点が生じたかと思うと、そこから壊死しはじめた。フードの小姓が用立てた薬品を塗ってはみたが、一度生じた腐敗はとめられない。数日で腐敗菌が脳へ達した。
 これ以上腐敗した苗を放置すれば感染が広まる。俺はやむなくマシタを根もとから切断し、焼却炉へ運んで燃やした。形見となったマシタの眼鏡は、遺灰と一緒にして中庭へ埋めた。
 へまはしたが、残りの苗は無事、果樹としてすくすく成長している。収穫の時期になれば豊かな実を結ぶだろう。来たるべき収穫のときを想い描きながら、俺は独房を順番にまわって如雨露で水をそそぐ。
 イナダは四株のなかでいちばんの有望株だ。もともとの土壌が栄養豊富だったのが幸いし、枝ぶりのよい大木となった。以前は筋骨隆々とした大男だったが、この頃はだいぶ果樹に栄養をとられ、痩せ細ってきている。木質化した胸板を撫でると、かすかに心臓の動く気配がする。イナダは俺にとっても頼れる兄貴分だったから、なるべく長く苗床として残してやりたいものだ。
 一方クボは成長が今ひとつだ。植木鉢のかたちに開頭した頭蓋から露出する脳へ水をやるが、なかなか吸いこんでくれない。土壌の質が苗床向きじゃないのか。幹は細く葉先が黄色く萎びている。脳幹まで根が張っているか怪しいものだ。これでは果実が実ったところでイナダに比べると見劣りは避けられない。
 クボは同期だが、さほど付き合いはなかった。とはいえ今は貴重な苗床に変わりはない。看守からの指示でクボの剪定をすることにした。ぶよぶよした豚足のような右腕(ここからして、栄養が果樹に届いてないのがよく判る)を、外科手術用の鋸で切断したのだ。出血は覚悟の上だったが、すでにクボの体内は根が張りめぐらされ、血は一滴も出なかった。とろっとした樹液が垂れた程度だ。
 余計な手足をそぐと、目にみえてクボの生育がよくなった。適切な剪定や摘芽が果樹の成長を大きく左右する。この分ならクボを間引く必要もなくなる。俺とて鬼じゃない。育つ目のある同僚を焼却処分したくはないからほっとした。
 つづいてオムラの独房へ。オムラは俺たちの小隊の紅一点だ。鉢として費やされる前は、ころころとよく笑う快活な女性だった。過酷な任務で殺伐としてくると、メディックバックから飴だのチョコレートだのを出してきて俺たちに振る舞ってくれた。あの甘味は忘れられない。
 水やり係である俺が個々の鉢に対して贔屓するのは褒められたもんじゃないが、オムラについては思うところがある。彼女に対して、おなじ部隊の同僚以上の気持ちがなかったと言えば嘘になる。
 まだ彼女が二足歩行していた頃に、ちゃんとデートに誘えたなら。だが職場恋愛などと、そんな浮かれたものとは無縁だった俺には、どだい無理な話である。弟から囃され、仲間からは嗤われ、俺のひそかな恋心は芽吹くことなく潰えた。
 オムラの乳房をそぎ落した胸部からは、色あでやかな花が咲いている。心臓から送りだされる微かな血を啜って咲く深紅の花、胆液を煮詰めたような黄土色の花に、髪のメラニン色素由来の漆黒の花。人それぞれ好みはあるんだろうが、どれもみな素敵な花々だ。
 オムラの胸腔から咲く花は、どれも摘み取るとものの数分で枯れてしまう。大きすぎて切断した乳房を花びんにしてみるのも試したが、どの花も乳腺からの分泌が混じって白い斑入りの毒々しい紋様に変わるのでなんだか落胆した。それ以来、彼女の左右の乳房は独房の壁に吊るしたまま。物ぐさな家庭の食卓の一輪挿しよろしく、ドライフラワーとなった花のみが往年の美しさを今に伝えている。
 そろそろ空が明るみだした頃、重い腰を上げてマルトの独房を訪れた。正直、あまり気が進まない。マルトと顔を合わせたくないのだ。たとえ向こうがとうの昔に俺を認識できなくなったとしても。
 マルトは俺の弟で、俺たちの分隊のリーダーでもあった。どんな困難な状況でも冷静さを失わず、必ず任務を遂行する。肝っ玉の小さな兄とは正反対のできるやつだ。俺たちが捕らえられたときも、最後の最後まで希望を失うことなく、ここを脱して本部へ連絡する方法を模索しつづけた。顔のない看守の目を盗んで、独房の壁にひそかに穴を穿ち、樹脂粘土を使って巧妙に偽装した。穴はマシタとイナダが率先して掘削し、生活排水を処理するためのパイプを見事探し当てた。人間が四つん這いで通れるくらいの大きさで、おそらく監獄の外へ通じているはずの排水路だ。
 脱獄決行の夜、クボが発芽しなければ。したとしても、あと数時間遅ければ、俺たちは脱獄を選んだはずである。それが成功したかはともかく、間違いなく挑戦はした。
 だが、俺たちは決行を一日遅らせることにし、それから順番に発芽がはじまって身動きが取れなくなった。
 脱獄用の穴はまだ顔のない看守たちに気づかれてはいない。その気になれば、俺はいつだってここから逃げだせる。なのにそうしないのは、同僚の世話をしなくちゃならないからだ。仲間を見捨ててはいけない。いや、そんな人道的な感情はただの建前で、本当は臆病なだけだ。あるいは俺の脳へ埋めこまれたまま未発芽の種が、俺の意識へ作用して反抗的する意欲を挫いているのかも。昔ドキュメンタリーで観たことがある。宿主の意識を操作し、ゾンビ化して操る寄生虫。そんなのが、俺の意識へ作用しているとしたら? まあ、もしそうだとして、俺にそれを認識する術はないのだが。
 頭の中であれこれ考え、弟への罪悪感を紛らわす。苦悩した表情のまま木質化し固定された弟の顔。亀裂の生じた虚ろな眼球。そんな目で俺を見るな。黒ぐろとした肥料の粒を移植ごてで掬い、露出した後頭葉の隙間へ押しこんでやる。脳漿なのか樹液なのか、透明な液体がじわっと滲む。緩効性肥料が静かに溶けだしてゆく。栄養を受けとると、どの鉢も心なしか嬉しそうな気がする。俺としても世話係冥利に尽きるというものだ。この感情も、ひょっとして脳内の種に操られた偽りの歓びなんだろうか?
 水をやって自分の監房へ戻ると、顔のない看守が戻ってきて施錠する。毎日その繰りかえしだ。俺は小姓から与えられる食餌でかろうじて命をつなぐ。小隊のメンバーのなかで、俺のみが発芽を免れたのはなぜなのか。考えようとするとこめかみに痛みが走る。
 月日が流れ、収穫期が訪れる。あごを撫でると鷲掴みにできるほどひげが伸びている。時間の感覚はだいぶ麻痺したが、それでもずいぶん経過したのはこのひげが動かぬ証拠だ。
 最後の水やりをする。四体の鉢は果樹に栄養をことごとく吸われ、干からびて胎児のミイラみたく縮んでいる。もう性別も年齢も区別がつかない。だが彼らの頭上の果樹はみごとに成長し、濃紫の果実をたわわに実らせている。日ごと色づく果実は、フードの小姓が品定めをし、熟成を見計らって摘み取られる。ひとつ、またひとつと収穫が行われる。今期のすべての収穫が済んだら彼らはお役御免だ。栄養を使い果たした鉢では収穫が見込めない。また新しい鉢を捕まえ、豊富な土壌で育てた方がうまく行く。
 ふと作戦決行の夜を想いだす。小隊のメンバー全員で宿舎パーティーをした。翌日から危険な任務がはじまるというのに、よくもまあ揃いもそろってはめをはずしたものだ。
 マルトは俺たちに飲みすぎないようくぎを刺した。あいつは酒がからきしだった。体質的に合わないらしい。ハイスクール卒業後のプロムで無理に呑ませ、救急車で搬送されたこともある。あのときは親父にしたたか殴られた。
 ひとくちくらい呑めよ。酔ったイナダが酒を勧めたが、マルトは苦笑いしてやんわりと拒んだ。気持ちだけ受け取っておく。そう言ってジンジャーエールを啜った。懐かしい思い出。だがずいぶんと遠く感じられる。弟に対してあったはずの愛情もだいぶ薄らぎ、ただ、楽しかったという追憶の残滓のみ。
 すべての収穫が終わると、俺は中庭へ出された。少し休んだら、同僚たちを伐採する作業に入る。全員焼却炉へくべる。これが済んだら俺はどうなる。俺もまた役目を終えて処分されるのか。それとも次に運ばれてくる苗の世話を任されるのか。顔のない看守たちの考えはまるでわからない。
 中庭の片隅へ放置されているのは、末成りの果実だ。市場価値がなく、うちやられた腐りかけの果実。ざくろを想わせる甘い香りを放ち、親指ほどの太さの不気味な虫が群がってきて汁を嘗めている。
 俺は蕩けた果実を柄杓で掬うと、ひとくち嘗めてみた。甘く、脳天へ突き抜けるようなアルコールの旨みが喉を灼く。酒だ。酒の味がする。
 俺はバケツへ汁を汲むと、かつてマルトだったミイラの委縮した体へその汁を濯いでやる。灌仏会に甘茶を濯ぐみたく、発酵が進み天然の醸造酒と化したその豊潤な液体を呑ませてやる。
 なあ、これなら下戸のおまえでも一杯やれるだろ?
 俺は独房の壁にもたれかかると、弟と無言で酒を汲み交わした。酔うのなんて久しぶりだ。アルコールの効能なのか、俺の脳の奥底に眠っていた人間らしい部分がようやく目覚めてくれたらしい。俺は弟の鉢から溶け残りの肥料の欠片をつまむと、酒と一緒に呑みくだした。(完)