掌編「コタツ」

電子の金屎をかき集めるシステムインテグレーターとしての生活へ嫌気がさしたのか、君は最果てでしばらく体を休める決意を固めた。今さらのキャリアブレイクなぞだれが気に病むものか。

十数年にわたる放浪の旅を経て最果てへ到達した君は、茫漠とした無人の空間へ、ぽつんとコタツが設えてあるのを発見した。これが俗にいう最果てのコタツだと君は直感的に理解する。

地磁気が乱れ、座標も時刻もくるいつつある不毛の土地においてもなお、コタツは歴としたコタツとしてそこにある。世界のどん詰まりに似つかわしくない小綺麗な琉球畳が敷き詰められ、おおむかしのナショナル製とおぼしき頑丈な木組の櫓に、ふかふかした千鳥格子の布団が被せられ、頑丈な樫材の天板が設えてある。

君はおもむろに布団をめくる。ハロゲンヒーターに温められた空気が漏れだし頬を撫でる。ダニの死骸と、埃の焦げる懐かしい郷里のにおいがする。電源はずっと入れっぱなしだったのだろうか。世界の果てにおいてもなお電力は無駄遣いされるのか。

君は若干の後ろめたさを抱きながら、糞掃衣の裾を捌いて畳へ腰をおろし、コタツへ脚を入れる。遠赤外線のぬくもりが下半身を包み、ある種の湯煎状態の血液がめぐると、改めてその身の疲労が意識される。君は自分が疲労困憊なのを発見した。産業医との面談で、初めて死ぬ寸前の過重労働を自覚したあの日みたいに。

全身が温まってくると長旅で蒸れた靴下がむしょうに痒く、また不潔なものとおもわれて脱ぎすてる。なんの変哲もない化繊の靴下。ここへ来るまでに幾度となく穴があき、交換した。その最初の一枚は、旅立ちの前に決別した恋人がくれたもので、懐かしいその女の顔を思い浮かべようとしたが、記憶はだいぶん薄れつつある。

ふとたわむれに脱いだ靴下を手にとってにおいを嗅ぐ。イソ吉草酸をふんだんに含んだそれは芬々たる悪臭を発し、もはや尋常の洗濯で清められるとは思われない。この悪臭の蓄積こそが自分の旅の総決算なのだと考えると、やや興ざめした気持ちが萌し、君は靴下をくるくる丸めて最果ての崖へと向かって投げた。

最果てとは世界の果ての意味だから、その向こうはこの世界に属さない、まったくの虚無、完全な真空だ。いや、観測さえ届かないのだから、それが完全な無かさえこちら側からは判別がつかない。

途轍もなく臭い靴下は、ゆるやかな放物線を描いて世界の向こうへと消失した。

もし宇宙がこの宇宙以外にもあるなら、と君は想像する。あの向こうは別の宇宙へ接続されているのかもしれない。履き潰した靴下という従属から解き放たれた靴下は、向こうの宇宙ではなにか別の、キラキラした素敵なものとして存在するのでは。未知の物理法則が支配する、まったく異質な状態へ遷移した君の靴下は、ひょっとすると乾いた大地を潤す雨になって降り注ぐのかもしれない。

とすると、君が今から飲もうとしているボトルの水だって、別の宇宙の誰かの靴下のダシがしみているかもしれない。そんな嫌な方面の想像力も刺激され、君はボトルを遠ざけると、ウイスキーの小びんを取り出して飲んだ。むろん、これも誰かの小便だった可能性はあるけれど、まあ、酔ってしまえば多少のことは気にならなくなるものだ。

それにいま、君はコタツで脚をあぶっている。コタツで酒を飲むと、たいていの人間はすぐに眠ってしまうものだ。ましてや長旅のあとならなおさら。あとはただ、最果てではやっている風邪を引かないのを祈るのみだ。