文フリ東京35 訪文

文学フリマへ行くのは久しぶりで、天空橋から浜松町行きのモノレールへ乗り換えると、座席が通常の二条式鐡道とは異なる配置であるため、非日常の車内暖気がやわらかく私の周囲へ漂いだし、ああこれからモノレールで流通センターへ向かうのだな、そしてあの混雑へ身を投じるのだな、という気持ちが否応なく持ちあがる。

そして昭和島駅にて空港快速の通過待ちをしていると、曖昧然とした心細さが具体的な不安となって胸中へたちこめてくる。毎年の通例行事でも慣れないのに、ましてや今回はコロナ禍による数年のブランクがあるため、その不安は数倍増である。いっそ仮病だのペットの急病だので帰ろうかと考えるが、ここまで来て不義理を働くのも心無い、となれば行くしかないのだ、覚悟をかため行くのだ、と叱咤して流通センター駅へ降りたてば、同じような淀んだ空気感の黒ずくめの眼鏡着用率の高い集団が忙しなく行きかい、ああ彼らは〈同類〉なのだな、と考え、それでなんだか余計に心細くなるのは如何なる心理作用なのかと考えるうち会場へ入る。

今回からかは知らないが、胸にビジター用のシールを貼る。余談だがこのシールは翌日の出社までつけっぱなしにしてしまい、危うく要らぬ恥をかくところであった。何も緋文字やナチス支配下でのダビデの星じゃあるまいし、見られたところで困るものでもないのだが、なんとなくばつが悪いくらいの思いはする可能性があるゆえ、参加者各位におかれては、イベント終了後は余計なものは取っておくに越したことはない。

ね群ブースを訪れると、主宰であるばななさんに挨拶をし、笹さんの差し入れと、二年分の合同誌をいただく。ばななさんは少し疲れた様子である。激務と深酒とあたらない競馬で体を傷めているのでなければいいのだが。なにとぞご自愛ください。

むらしっとさんは変わらない。池袋へ火鍋を喰いに行ったときのままの溌剌とした姿でご健在である。しかもその間に執筆技術を研ぎ澄まし、商業誌デビューを果たされ、八面六臂の活躍ぶりである。じつに御見逸れする次第だ。この間、部屋へ引きこもってだらだらと動画視聴とゲームを繰り返し、あたら非生産的な日々をすごしてきた私なんぞは目を合わせるのさえ烏滸がましい。いやそれは謙遜しすぎでは。

久しぶりに対面で人と話したからか、頭が真っ白になってしまい、よい感じのお話ができなかったのは痛恨事である。ふだん会わない相手にこそ、一期一会の精神で村上春樹の小説の登場人物的なウィットとイロニーに富んだ会話を繰り広げたいものだが、まるでお目当てのアイドルの握手会に初めて参加したうぶな高校生みたく、とおりいっぺんの挨拶のみで済んでしまった。しかも、なぜか隣のブースに座っている方を笹帽子さんと勘違いしてしまい、とんだ恥を掻いた。向こうも急に「笹さんですか?」と誰何され面妖な面持ちである。最悪なのはひと間違えをしたのに、ちゃんと謝罪しないで笑ってごまかしてしまったおのれの怯懦だ。あれはよくない対応である。私を反面教師として、これを読んだ青年たちはひと間違いをしたら速やかに謝罪して欲しいものである。

そんなこんなで会場へ到着するや否や光の速さで疲労困憊してしまい、朦朧たる様子で会場内のぐるりを歩き、人混みをこれ以上跋渉するのは辛抱敵わんなとの思いを新たにしたところで、お目当ての同人誌を購入して退散することにした。小林さんには会えたが、全ムーさんやがらんさんには会えずじまいである。本物の笹さんもだ。だが、それもまた人生。クーベルタン男爵も言っているではないか、文学フリマは参加することに意味があると。その文学的香気だか瘴気だかを吸った時点で、私はなすべきをなしたのだと判断し、なすべきをなしたのなら長居は無用であると『Rikka Zine Vol.1 Shipping』および『異界觀相vol.2』を携えベイサイドをあとにした。

今回の学びとしては、だいぶん精神的に衰弱しているのを改め自覚した次第である。このたびのねじれ双角錐群の取扱説明書合同のタイトルは『故障かなと思ったら』であるが、実際のところ故障しているのは作品ではなく、著者本人だったのだ。であるとすれば『沼妖精ベルチナ』に取扱説明書要素がないのは、まさしく作者の故障ゆえに、おのれ自身の取扱方がわからなくなったからに他ならない。来年こそ、私は私自身の取扱説明書を書きなおし、新たな段階へと進みたいものである。