10月はお休みします

月例報告で休みがあるとそのうち季刊、年刊、不定期刊行と間が空きはじめ、やがて更新が途絶えるのが世の常ひとの常である。そも人生自体、その人の精神と肉体の定期刊行の断絶によって完結するのだから、エタるのは摂理であり決して恥ではない。

 

それはともかく近頃、精神的にきついのは労働面での不遇によるものが大きい。詳しくは差し控えるが、結局のところ居るべきではない場所へ長らく居すぎた弊害だ。巨大なつららにピッケルとアイゼンを突き立てしがみついている状態で、気温が低いうちは膂力でかろうじて持ちこたえられるが、陽が登るにつれ氷柱は溶けだし細くもろく崩れてゆく。こうなればいつ落下してもおかしくない。いっそ潔く氷河へ落ちてしまえば楽だが、なまじ登攀技術を恃んでいるから、なにくそ意地でも落下するもんかと握力を強め、ぎりぎりと踏ん張るから、落ちそうで落ちない。不安定な薄氷であろうと、いずれ陽の向きが変われば再び固くなるだろう、万事それまでの辛抱であるとのはかない期待を抱き始める。だが足はぷるぷる、指先はかじかんで感覚がなく、なけなしの期待の火種は心中で燃えあがるにはあまりに微弱な燠である。

こうしたうで蛙の悲しい心理が、われわれの心を腐らせる一因なのだ。